終わりに
終わりに
しあわせは、価値ある活動に携(たずさ)わることにあります。しかし、何が自分をしあわせにするのかを確実に教えてくれる人はひとりしかいません。
自分です。この本に書かれている教訓は、実際には、歩むべき道のことです。この教訓を破ることは、路肩(ろかた)に突っ込んでしまう運転手のようなものです。その結果は、一瞬で破壊された人間関係、そして人生です。
あなただけが、道がどこに向かっているのかを知っています。というのも、人はそのときどきに、人間関係や人生の局面に関して自分の目標を定めるからです。
ときには自分のことを、薄汚れた路地を風に吹かれて舞う葉っぱのように感じたり、ひとところにはまり込んで身動きのとれない一粒の砂のように感じることもあるでしょう。しかし、人生が穏やかできちんとしたものだとはだれも言ったことはありません。人生は、そういうものではありません。とはいえ、人は、ぼろぼろになった葉っぱでも、一粒の砂でもないのです。人は、大なり小なり自分の地図を描き、それをたどっていくことができるのです。
今のような状況では、何をしようにも遅すぎるとか、これまでの道があまりにもめちゃくちゃだったので、わずかでも違う将来の地図を描く機会などないと感じることもあるかもしれません。しかし、道の上には新しい地図を描くことのできる地点が必ずあります。それをたどるよう努めなさい。生きている人で、再出発のできない人などいません。
反対を少しもおそれることなく、こう言うことができます。ほかの人があなたを笑いものにし、いろいろな手段で路肩へ突っ込ませようとしたり、さまざまな方法で不道徳な生活を送らせようと誘惑(ゆうわく)するかもしれませんが、そのような人たちはみな、私利私欲のために そうしているのです。そんな人たちに気をとられていたら、悲惨(ひさん)で不幸な結末を迎えてしまうでしょう。
もちろん、この本を実際に使おうとしたり、使わせようとして失敗することも多々あるでしょう。人はそこから学び、進んでいかなくてはなりません。道にデコボコがないとだれが言いましたか?
それでも歩み続けることはできます。倒れてしまうこともあるでしょうが、再び起き上がり進み続けることができないわけではありません。
もし歩むべき道から外れることなく進み続ければ、ひどく間違った方向に進むことはありません。真の感激、しあわせ、喜びというものは、破滅(はめつ)した人生からではなく別のところからやって来るのです。
もしあなたがこの道をほかの人に進ませるようにできるなら、あなたも自由に本当のしあわせとは何かを発見するチャンスを手にすることができるでしょう。
歩むべき道を知っていれば、しあわせへの道は高速道路になります。
あなたがその運転手です。ごきげんよう。